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おいちゃん奮闘…雑草園の続き

…さて、雑草園・近隣被害問題の続き。 

園の主は隣人を「おいちゃん」 と呼んでいる。私と同年輩の“旧人類”で、実年齢は私よりいくらか若い。そう呼ばせるのは彼の人徳であろう。気さくな苦労人。もったいをつけたり気取ったりしない。

年末、1カ月半ぶりに雑草園を訪れた。雑草園が面目を改めていた。藪の勢いがおさまり、空も地面も広く見える。

草と落葉樹が冬眠の季節に入ったせいかと思うと、それだけではない。伸びすぎた木は剪定され、カヤがほこっていた一角は刈りこんであった。確かめるまでもない、おいちゃんがやってくれたのである。

北東・鬼門の方角に陣取った肉桂(シナモンの木、方言でケセン) は2.5㍍の高さに芯を止めてあった。思いきったものだ…と思ったが、これより50㌢高くても、低くても落ち着かないだろう。雑草にまぎれて見落としてもおかしくないトラグミの挿し木数本はキチンと残してあった。

肉桂は放っておくと、ゆうに10㍍を越す大木になる。植えた時は1㍍そこそこだったのが、いつのまにか4㍍近い高さになり、きれいに手入れされているおいちゃんの庭木と野菜畑を威圧していた。

これは梅と一緒に苗を買ったものだが、友人が持ち込んだ花も実もならぬ桜十数本と合わせて雑草園の三凶。毒毛虫を誘い込み、春先から夏にかけては木に近づいただけで、刺すような痛みと激しいかゆみを起こす。前々から芯を詰めないといけないと考えていた。

この思いをおいちゃんに語ったのか、語らなかったのか記憶がはっきりしない。おいちゃんは私が梅の木を伐ったときに「まこてボッケな伐いたくい方をしやしたナ」(追記に注) と嘆声をあげたことがある。

木は半分殺すくらいがちょうどいい…という思想を、おいちゃんももっているらしい。鹿児島市の下町に生まれ、いろんな職業を転々とした。庭師、農業の経験があるとは聞いていないが、一帯にまだ家がなかったころ、雑木と雑草のなかに家を建て庭をつくった変な人。「田舎暮らし」に浮かれる今どきの“ナチュラリスト”とは肌合いが違う。

こちらの家に近い部分は手を下さず、雑木と雑草がはびこるままに残してあった。そこまでやってもらうと、それなりの労賃を払わないと格好がつかない。向こうが貰うつもりのないものを、面目にこだわるこちらが押し付けるとギクシャクする。その辺の配慮もあったのかもしれない。

かくて、おいちゃんの家から眺めた風景は、キチンと手入れされた自前の庭と菜園に続いて、半分荒れたところ、それから荒れ放題のところという図になった。真ん中の緩衝地帯は、むかし山里に暮らす人が入り会いの雑木林を手入れしたら、さぞかしこうなるであろうと思われる趣。

…ここまでは、まことに有り難い結構な話である。が、ものごとを為した後には、後始末があるのを忘れていた。惚けの進みつつある頭を混乱させる問題が残った。

2カ月以上、家を空けていた家主がおいちゃんにお礼の口上を述べに行ったとき、雑木の残骸がきれいに切り分けられ、束ねられたのが庭先に置いてあるのを見つけた。どうするのか尋ねると、燃えるゴミの収集日を待っているという。

おいちゃんが野中の一軒家を建てたときは、邪魔な木くずや雑草を払った後は燃やしたはずである。それが、できないという。やかましい苦情を言ってきた人がいるらしい。

苦労人のおいちゃんのことだから自分では燃やさない。ふだん庭で草や枯れ枝を燃やしているのは我が方である。向こう三軒両隣は割と気安いつき合いだから文句があればジカに言うはず。おそらく地球温暖化防止に熱心な人が通りかかり、煙をたてているのはおいちゃんの庭と勘違いしたらしい。

アホな犬猫は尻尾を踏まれると、踏んだ足がつながった人間でなく、たまたま目の前にいる人に噛みつくという。おいちゃんは二重三重の近隣被害を受けていた。

…乱開発のミニ団地を一歩出ると、周辺には田園風景が広がる。暮れから、鬼火焚き用のやぐらがあちこちに作られていた。その数がやたらに多い。地域が空洞化し、田畑も荒れ始めたころ合いに「伝統行事」の形だけが復活した観。むかしはなかった所まで「復活」させたのではないか、と邪推したくなるほどの数の多さ。

それはまだいい。以前テレビで見た、護摩焚きの火の大きさに息をのんだ。丸太を幾重にも組み重ね天空を焦がす火勢。金で買った護摩木に願い事を書いて、これに放り込めば叶うという仕掛けらしい。これは伝統文化とはかかわりのない、ズバリ申せば営利事業。

どっかの「高僧」に呪文を唱えてもらわなくても、むかしの日本人が火をたくのには祈り、願いがともなったのではないか? やたらに大きい“バカ火”を控えれば良いのではないか…と思うけれども、なんとも世知辛い世の中になった。
 
「まこてボッケな伐いたくいかたをしやしたナ」は、共通語に言い直せば、なんとも思い切った伐りまくり方をされたもんですネ…ということか? 

ボッケの語源は「呆け」(上村孝二説)。九州の他地域では、無謀な、配慮のない、尋常を欠く蛮勇…といった否定的な意味をもつが、鹿児島では勇気がある、大胆な、豪快な…という誉めた言い方として用いられる。

「呆け」を肯定的にとらえるところが、いかにも薩摩。 豪傑は「ボッケモン」と称した。薩摩狂句に「ボッケモン 刀(かっな) ん先(さっ) で髭を剃っ」 というのがある。これを薩摩人の豪快さをうたった名句とする人がいるが、偏屈爺ぃには、奇をてらったアホなふるまいを称賛した、子どもじみた駄句にしか思えない。






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