じじらぎ

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姫田さん逝く

姫田忠義さんが亡くなった。 84歳。

日本が国として成立する前から列島各地で営まれてきた祭礼、習俗を映像で記録した人。 鹿児島県内では加計呂麻の諸鈍シバヤ、甑島のトシドン、奄美本島のショチョガマ、平瀬マンカイ、ノロまつり、鹿児島の正月行事、大隅・薩摩の春祭りなど広範多彩な映像記録を残している。

縁あって8年ほど前に会食したことがある。 楽しかったという思いでしかない。 

思えば、昔の人の敬虔な心の置き方を熟知していた最後の人だった。 折角のことだから、遠慮せずにキッチリと立ち入ったことをお伺いしておくべきだった。


訃報は1日付の南日本新聞ネット版で知った。 社会面の底にベタ記事で報じてあった。 鹿児島での仕事についてはひと言も触れてなかった。 

7月

気がついたら7月も最後の日。 7月は暦の掲載を忘れてしまったので、2カ月分一挙に掲載する。 間違い、不適切なところにお気づきの方はお知らせいただければ有り難いことです。 

7月暦(1024x679)

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P1020044.jpg    夜明け前に雨が降った。 干天の慈雨…。 3週間か4週間ぶりのことである。 庭の花が息を吹き返した。


P1020046.jpg    上は日日草、下の写真はテンニンギク。 よそでは雑草扱いしているかもしれないが、わざわざ植えている。 

下の写真で萱(かや) のように見えるのはレモングラス、左端にみえる白いスチロールの箱に植えられているのはバジル。 写真には写っていないが周辺にはアップルミント、ブラックミント、ローズマリー、ブーゲンビリア、ハイビスカスなどが根付いている。



ここらは珊瑚礁の岩と礫で、表土はほとんどなかった。 自分が来る前、海辺の天梅(てんばい、テンノウメ) を移植してあって、それなりの景色があったという。 その後にだんだんと表土のようなものがふやされて、磯から庭になっていくという経過をとった。

夏場は努めて水をやらないと芝も花も萎れて庭が土色になる。 有り難いことに昨年、山の上の用水溜めの水を使えるようにしてもらったので、夕方一回だけ水を撒いている。

この水は平成2年に海水淡水化施設ができるまで、飲み水にも使っていた。 朝もやりたいところだが、山の上のプールの水がどの程度たまっているのか分からないので遠慮している。 勢いは良いので、当分は余裕がありそう。



裏の畑は敷地内の貯水槽の雨水をやる。 この貯水槽からの水は勢いがなく心細いようなところがあるが、今まで涸れたことは一度もないという。



村政座談会

P1020047 (640x480)    鹿児島市にある村役場から村長以下、主だった人たちが来て村政座談会があった。 年に一度の“直接民主制”。

去年と違って、ことしは泊りがけの日程にもどされ、夜は懇親会が開かれた。

日の出、2日分

IMG_0042 (800x531)    21日0540時、パパラギのベランダから。


IMG_0600 (1024x654)   22日0538時、同。 2日続けて歩くのをサボった。

燦々

IMG_0086 (1024x683)   0536時、湯泊。  サン婆さまがいなくなっても日は昇る。







20日の出 (1024x819) - コピー    2009年10月の湯泊の朝。 

サンは日の出遥拝と朝ぶろにはいつも同行した。 というより実態は私の方が連れて行ってもらった。  日課をサボりたい気分のときもサンは強引で有無を言わさない。 声は出さないが全身で誘う。 嫌も応もない。

海が見えるところまで来ると、サンは安堵した様子で東の方を遙拝する。 視力が失われても海を仰いでじっとしている。


   

∇…025    日が昇ると、低い角度から照射される光でサンの全身が金色に輝く。 サンという名前の由来は珊瑚礁の珊だが、燦々と降り注ぐ光の燦の方がよりふさわしいかも知れない。



∇…044  ∇…159    サン婆は水もお湯も嫌いである。 人間の爺が湯舟に浸かっている間は、露天風呂と海が視界に入るところに端座する。 目が見えなくなっても同じ方角に顔を向けたままジッとしている。 鼻と耳の先だけがピクピク動いている気配。




∇…020 (3)   珊瑚礁の道なき道を往くのも好きだった。 ヨタヨタといつまでも歩く。 それが、突如立ち止まって小休止を求めるようになった。 2日後には立ち上がれなくなり、それから10日ほどして昇天した。 



∇…032  410 (683x800) DSC02253 (1)避難 (800x692)   サンは生まれつきの品があった。 強者弱者を分け隔てせず、いつも毅然としていた。 誰にでも優しく、ヨチヨチ歩きの乳幼児から小突き回されても、されるがままになっていた。 

際立っていたのは旺盛な好奇心。 濡れた鼻は高性能のアンテナで、人の知り得ない情報をかぎとっているようにみえた。 

三枚目は2011年3月11日、三陸方面に大地震がおき津波警報が出て避難したときの写真。 神妙な面持ちで控えていた。 何を考えていたのだろうか? 





盲犬と棒(800x600)   この年の夏には全聾、全盲、嗅覚障害に加えて身体感覚もおかしくなってきた。 足に絡まるリード(紐) を自力ではほどけない。 棒の先に短いリードを付けて誘導することになった。 




 

★s-フラッシュ・メモリーからの写真 076 - コピー (2)   リードを離すと島の珊瑚礁原を思うさまに駆け回っていた頃の若いサン。 左手はかつての相方、陣(じん)。 陣は先に逝ったが、これからは両者揃ってあの世の入り口で迎えてくれるのだろうか?

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帰還……サンのいない島

P1010945 (1024x768)  予定を切り上げて17日水曜日の船に乗る。 法事を営むわけではないけれども、この便なら19歳で命を終えた雑犬・サン(珊) の初七日に間に合う。

0548時口之島を出て振り返ると、島影からお日さまが顔をのぞかせた。 柔らかい光で海と空を包んだのはつかの間のこと。 数秒後には灼熱の夏の太陽になった。  


P1020007 (1024x749)   1055時、小宝島の寝姿が見えるところまで着く。 足元にうっすらと見える島影は悪石、その先が諏訪之瀬。 



P1020018.jpg   居間の日めくりはサンがなくなった12日のままになっていた。 日めくりをそのままにおいてもキッチリと時は刻まれ、1週間が過ぎていた。


P1020036 (1024x768)   サンの墓所。 亡骸(なきがら) は裏の菜園の一角に葬られていた。 ここらは島の人から借りている地所である。 埋葬を許してもらっただけでなく穴まで掘ってもらったという。 珊瑚礁を掘り砕いて穴をうがつ作業はなまなかの仕事ではない。 珊は珊瑚と石灰岩を掘り分けたところに納まった。


石で囲んだなかに、真ん中に抑えの石が一つ。 この形は、30余年前に平島の子供が事故でなくなったときに偶然立ち会った土葬の形と同じである。


女将に、誰に教わったのか聞くと妙な顔をする。 島の人が石をたくさん拾ってきてっくれたので、並べて置いたら自然にこんな形になったという。


忘れられていたトカラの土葬の葬制が小宝島の一角で図らずも再現されることになった。 真ん中の石はここでは「抑え」 の役割よりも、女将が掘り起こすのを禁じる「封」 のような不思議な存在感があった。

婆さまが死んだ

昨夜、12日午後11時45分ごろサン婆が息をひきとった。 


今朝方、島にいる女将から電話があって昨夜のメールを見たか……と問う。 女将がメールを打つのは珍しいが、見たかどうか確認の電話をしてくるのも、あまりないことである。

どういうことか聞くと、しばらく声がない。



サン婆の四肢のひきつりは午後9時ごろから激しくなり、それを抱きしめて抑えようとする女将の腕のなかで絶命した。 視力は片方の眼だけ一時的に回復したかのように輝きが戻り、女将の顔をじっと見たまま息をひきとったという。

享年19歳4カ月。 小宝島でもっとも長く生きた犬だった。

定員2

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P1010858 (1)    庭の婆さまは花にかこまれてご機嫌な様子である。 夢うつつの体。 起きているのか寝ているのかわからない。 この点は爺もいっしょか? 

爺と違うのは、時々死んだふりをする。 自然体なのか、意図的なのか分からない。 



DSCN2892.jpg   座敷の婆さまは、ついにおしめを付けるようになった。 嫌がるのかと思うと、それほど気にする風ではない。 









P1010834.jpg   朝方、道路向かいにある電柱にカラスが3羽、庭を見おろすような位置に控えていた。 女将は、サンが死ぬのを待っている…と神経をとがらせるが、そういうことでもなさそう。 




小宝島のカラスは2羽と決まっている。 1平方キロしかない小さな、大海を漂流している筏のような島。 もしカラスになわばりをつくる習性があるとすれば、2羽が定員ということか…。

3羽いるのは、おそらく今年孵った幼鳥がまじっている。 年によって4羽になったりする。 この場合はたぶんつがいと幼鳥2羽。


3羽ないし4羽が元の2羽に戻るのは、渡りのカラスの群れが島に寄ったとき。 実際にはみんな黒くて見分けがつかないが、幼鳥も群れと一緒に島を出るらしい。 だとすれば、親離れを旅の者たちが手伝っているということか?

 


カラスの定員は2。 犬の定員はきまっていないが、いまは現員2。 遠くない将来にそれが1になる。
 


婆さま奮闘

DSC04730.jpg     サン婆がついに寝たきりになった。

7日ほど前のこと。 一緒に散歩に出たら、5㍍ほどヨチヨチ歩くと立ち止まって、小休止を要求する。 

これまでにないことである。 爺も似たりよったりだが、足腰の劣化はついに婆さまに追い越された。


爺婆のくたばり先陣争いのレースは、予想に反して婆さまが一馬身ほど抜け出た。 …そんな感慨にひたったのもつかの間のこと。

婆は、その翌日から立てなくなった。 推定年齢19歳4か月。 今までよく歩いてきた。

夕方、女将が足腰を念入りにマッサージしてやり、腹を支えながら促すと、ふらつきながらも何歩かは自力歩行する。 しかし、その時だけのことで、しばらくするとヘタリ込む。

リハビリは確かに効果がある。 ただし、機能回復の見通しは暗い。



居所は車庫から2階の和室に移ることになった。 爺の寝台の足元にビニールシート、新聞紙を敷いた上に紙おむつを重ねる。

放っておくと、そのうえで1日中寝ている。 おもらしをしたときは、鳴かないのが身上の婆がキャンと一声発する。 頻尿の爺がのべつトイレに立つ寝台のかたわらで婆はひたすら眠り、日に2,3回声を上げる。


食欲だけは旺盛。 寝たままの姿勢で首をねじって器用に食べる。 このテクニックはしっかり観察して学ばないといけない。






 

沖縄

歩くのが難儀になって、横になったままの恰好でいる時間が長くなった。 起き上がって机に向かい、キーボードをたたいてみても長続きしない。

指先のしびれは無視するとして、肘の痛みがひどく我慢できなくなる。


今はやりのタブレットも使ってみた。 たまたまいちばん悪い機械にあたったらしく、これが欠陥だらけ。 なんとしても重い。 馬鹿にしていたスマートフォンを見直すことにした。


いっこうに慣れない。 ミスタッチばかり。 しかし、これに慣れないことには世間を知らぬ偏屈爺になってしまう。

スマホの小さな画面と格闘しながら、全国各紙の社説、コラムに目を通すのが日課になった。


つとめて見ているのが福島民報、福島民友、それに沖縄タイムスと琉球新報。

今や災害復興、原発事故、それに戦争はローカルの問題になった観があり、ご当地の新聞でないと分からない。


さすがに6.23は各紙が取り上げていたが、温度差は否めない。

なかで印象に残ったのは東京新聞のコラム「筆洗」。 琉球王朝の王族で彦根の井伊家にとついだ井伊文子という人の歌を取り上げていた。



血を吸ひし島の扶桑が焔なし 狂ひ咲くらむ夏のまさかり

扶桑というのは仏桑花、ハイビスカスのこと。 まさかりは真っ盛り。 小宝の島にも真っ赤なハイビスカスが咲いているが、時と距離の隔たりはどのようなものなんだろう。 










湯泊の日の出

P1010738 (1) (1024x768)    0538時。 久しぶりの湯泊詣で。


P1010735.jpg   パパラギの向かって右側の門にある黄色い花。 いつの頃からか、ささやかな群落をつくっていたが、やむなく撤去した。

カサギクの仲間だと思っていたのが、どうやらオオキンケイギク(大金鶏菊)。

特定外来生物らしい。 繁殖力が強く在来種を圧迫するのだいという。


ここの小さな群落に限っては攻撃的なところは全くなかった。 珊瑚礁の小さな島で生態系を荒らすものは他にあるのだが、やむを得ない。

よそでは特攻花とも呼ばれているらしい。 罪はないのに、あえなく玉砕。


 


帰途

P1010472 (1024x748)    14日0520時、鹿児島市を発つ日の日の出。


P1010633.jpg    15日1107時、小島周辺まで伴奏してきたカツオドリ。 海は凪、イルカも飛んだらしい。

P1010707 (1024x768)    同時刻、島影は小宝島。 1108時に接岸した。 小宝島はすさまじい夏の日射、梅雨の気配はない。 

備忘録

いま鹿児島市にいる。 先月30日の夜着いて、きょう14日発の名瀬行き村営フェリー「としま」 に乗る。


なんと半月を超す滞在。 過去最大になる。 

用事はいろいろあった。 



思うようにはかどらない。 からだも気分も勢いをつけなければ動けなくなっていた。 


難渋したのは老々介護と病々介助。 

病々介助というのは病人が病人の面倒をみるということ。 今でっちあげた言葉だから辞書をひいても出てこない。

はからずも面倒をみる側にまわった。 このへんのことは一筋縄ではいかない。 面倒をみられる側の者たちより面倒をみる側が抱えた難儀が軽微ということでもない。 

巡り合わせの逆転劇。 

悪い籤をひかされたのにはたぶん理由がある。 こしかたの不孝の報いに違いない。 


もともと無理なこと、出来ないことをやろうとした結果、いろんな人たちに助けられた。 密かに徳を積んできた覚えなぞ全くないのに、有り難いことである。




未来をひらく小宝島

027 (1024x768)   0537時、湯泊。 いつもの日の出。 水平線のあたりには雲の層があって、お日さまが顔をのぞかせるのは少し遅くなる。 

この空模様もつかのま。 このあと天気は下り坂に向かった。


村営船「フェリー としま」の帰りの便は定時に出るかどうかはっきりしないという。 おかげで、きょうくる予定だった5人の団体客はキャンセルになった。 


この予約があったために、オカミは鹿児島市での診療日程を中途で切り上げてもどってきた。 5人分の食材もとりよせた。 

この予約で満室になったために、あとから舞い込んだ予約2件は宿の方から丁重にお断わりした。 1日だけでも満室になると、あとからの連泊の予約もお断りせざるを得ない。 

ドタキャンの被害は甚大である。

下世話な話ながら、キャンセル料はいただいたことがない。 小宝島でまともな商売をしようとすれば、看板を掲げるだけで赤字になる。 
 

誰が悪いというわけではない。 悪いのは天気。 なんといっても、こんな不自由な島で宿なんぞやるのが悪い。






小宝島は足の便の不自由さではおそらく日本の有人島で一番だろう。 おれたちの島の方がもっとひどいぞ!…というところがあれば名乗っていただきたい。 

もしあれば、共感と深甚の敬意をもって教えを乞いたい。 厳しい自然と崩壊したコミュニティのなかで、人としての品位と尊厳を失わないで生きる知恵をご教示願いたい。



愚痴をこぼせばきりがない。 

ただし、愚痴ばかり言っているわけではない。 


たまに来るお客さんには「日本の未来をひらく可能性に満ちた島」 という話をする。 語る本人は、身びいきの独断…とは思っていない。  

大真面目、本気である。 

相手が熱心に耳をかたむけるポーズができる人だと、焼酎を無理強いしながら延々としゃべりまくる。 

 


残念ながら、棺桶に片足突っ込んだ耄碌爺ぃの「大風呂敷」 は無為に広げられたまま。 いつ果てるともしれない爺のおしゃべりに進んでつき合ってくれる人はいない。 

たまたまつかまった不運な人に、もう寝たいという本心を隠すのに大変な苦労をさせながら、夜は更ける。

 


以下、焼酎抜き、シラフの白昼堂々の「大風呂敷」。 御用とお急ぎのない方、絶望して何ものにも価値をみとめなくなった方はどうぞ。

エヴェレスト

80歳の爺さんがエヴェレストに登ったという。 「ヘェー」!?

島のひねくれ爺ぃには、猫が塀に登るのを見る以上の感動も共感もない。
 

今朝のNHKテレビもしつこく繰り返す。 それがどうした!…と、思わず声を発したら、オカミがテレビの電源を切った。

レントゲン船

うかうかしているうちに5月も半ば。 

村営フェリー「としま」(1390トン) は0845時に接岸した。 いつもより早い時間。 前日に悪石島に碇泊した住民健診特別便である。

年に一度の臨時便。 島々では「レントゲン船」 と呼んでいる。 



この船は鹿児島出港から帰港まで足かけ4日、往路は2日かけて七つの島で錨をおろし、1~2時間かけて住民一斉健診をする。 小宝島以外の島では大型バスのレントゲン車を船倉から岸壁に降ろすはずである。


小宝島は平島と並んで碇泊時間は短く1時間20分。 人口の多い口之島、中之島よりも1時間ほど少ない。

普段は各島10分そこそこの接岸時間だから、七島のすべてに上陸できるこの便には、トカラ列島を踏破したいという人たちが乗っている。


2009年、皆既日食の年のレントゲン船は、上階レストランのテーブルを取り払って床にゴロ寝させるほどのラッシュだった。

このときは地球物理学のK博士も英国の学者を伴って乗り込んでいた。 聞いてみたらゴロ寝組という。 

VIPを自ら申告するようなお人柄ではない。 十島村も豪気なことをした。  


皆既日食を「千載一遇の好機」 としてトカラの知名度をあげる…という人たちは、日食をカサにきて無理無法を押しとおした。 しかし、注目されたのはこの年だけのことだった。 

トカラの知名度は一時的にあがっても、トカラの島々が良いところ…という評判にはつながらなかった。 それどころか、この年をきっかけにトカラから心が離れた人たちがいた。

この時の逆宣伝効果を七島および十島村は今なお清算していない。 それどころか、自覚さえしていない気配。




おかげさまでレントゲン船の臨時客の数はかなり落ち着いてきた。 


うち4人とは偶然、接触があった。 それぞれに感じの良い人たちだった。

人が多く、賑やかであればいい…というわけでは必ずしもない。

 

憲法

憲法記念日、66回目になる。 人なら不惑も、則(の) をこえない年も、通り過ぎた結構な老人。 しかし、ただの老いぼれ扱いは不当である。


お日さま

DSC04597 (1024x768)     16日0611時、パパラギのベランダから。  下は前日の15日0608時、湯泊湾。 

日の出が撮影可能なのは低い位置にある間の3、4分だけ。 このタイミングを外すとすぐに雲に隠れ、雲がない日はみるみる強烈な太陽になってレンズを向けられない。


DSC04558 (1024x768)

夏休みの絵日記

生来の怠け者。 夏休みの絵日記は8月末にまとめて書いた。 おかげで図画を早く描くのが特技になった。 

年をとってもズボラは変わらない。 

ブログには締め切りがない、新学期のようなおそろしい節目もない。 おかげで、写真日記はズルズと空白のままになった。


このままでは、出来心で始めた「トカラ列島 小宝島日記」 が自然消滅する。 始めるのにさしたる理由はなかったが、ここで終わらなければならない理由根拠も薄弱である。 気分が躁になったときに書き足していくことにする。


DSC04500 (1024x726)   4月初め鹿児島市に行ってきた。 これは4日0622時、はっきりしない空模様で日の出の代わりに飛行機雲を見た。


DSC04502 (1024x723)    4日0808時、甲突川河畔の桜は盛りを過ぎていた。 スピード違反ではないか?


DSC04474 (800x560)   さかのぼって1日1915時。 被写体は娘が生んだ男の子。 生まれて2カ月余、名は太郎という。  


DSC04497 (1024x768)   4日1339時、鹿児島市鴨池新町の鹿児島県労働者福祉会館、植村雄太朗さんを偲ぶ会に出た。  この人については長い長い物語をつづりたいと思いながら果たせぬまま。

ごくかいつまんだ紹介は、南日本新聞「ひろば」欄に「別れの時…」 と題する文を投稿し、3月23日付
に掲載されている。 もともとは高校の国語教師。 言語学者、詩人、銃後の遺児立場で戦争を語る生き証人でもあった。



この会に出るために病院通いの日程を調整したが、体の具合の調整はうまくいかない。 せっかく県都に赴きながらし残すしたことがいろいろあった。 m(_ _)m!









     
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