じじらぎ

« NEW  

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

野のユリ

∇…005

本土に暮らす人から花見の話をきいた。なるほど、そんな季節になっていたのだ。

生まれつき浮薄ながらも花の下では浮かれない。心が浮き立つ気分は分かるのだけれども、自分ひとりだけ内に籠ったあげく神妙な思いにひたってしまう。

桜の下には死体が埋まっている…。そんな古くさい幻想が許されて、はじめて心がしずまるようなところがある。

36年前、身近なものが死んだ。火葬場から墓地に上る道々、裂けて歪んだ丘の風景を桜吹雪が覆った。

その時まで桜の花が美しいものだとは知らなかった。照葉樹林のモクモクと重なり合う緑の色相のなかで、あちこちに白いものが混じる。せからしいだけで、春の景色になじまないと思っていた。

しかし、桜吹雪のすさまじさを知ったからといって、構えて花見に行くということはしない。鹿児島では少し車を転がすと桜はどこにでもある。雑木のなかに1本だけ桜があれば、それを眺めるだけでいい。

その桜が小宝島には1本もない。植えれば根づくに違いないが、今まで植えた人がいない。特段の理由はないらしい。

いま島を彩っているのは野ユリ。どこにでもあるから島の人は気に留める様子はないが、色、形とも見事である。ことさら飾ることもなく、そのままで十分に美しい「野のユリ」。

この花の根方に死体が埋まっていたらいい…と、脈絡もなく思ってみる。 現実にはあり得ないことで、つかの間の幻想は幻滅に変わる。

島に来て失望したことが一つある。人の一生が島でも完結しなくなっていた。島で人は死なず、体が動かなくなると都市部の病院に入院する。葬式も家ではしない。この点では島もすっかり都市化、均質化していた。

トカラ列島で行われた最後の時期の葬式には偶然、行きあった。30年前の平島。小学校に上がる前の男の子が事故死した。

心のこもった葬儀で、島じゅうが喪に服した。 この場面に出会ったことが、年をとってからトカラまで来てしまう隠れた動機だったのかもしれない。

死者が土葬されたところは海沿いのなだらかな斜面だった。墓碑を刻むべき石も用意されなかった。時を経て雑草に埋没していてもおかしくない。ひょっとしたら、今そこに野ユリが咲いているのかどうか?

鷺が来た

∇…065

5日午前9時45分、鷺の群れが湯泊上空を飛んでいるのを確認した。数は20余羽。1週間ほど前から1羽だけは見ているが、まとまった数の飛来はことし初めて。

コサギのように見える。しかし、小宝島に渡りの途中で立ち寄り6、7月ごろまで長逗留する鷺は圧倒的にアマサギが多い。どちらなのか、絶えず上空を飛びまわっていて確認できない。

バジルも生きていた!?

∇…033 ナスの木について、北海道のキンタローさんから話をうけたまわった。ナスはもともと多年草だから木になってもおかしくないのだという。

ほかにバジルなどもそうだ…という。なるほど、バジルは図らずも裏の菜園で奮闘している。いつまでも元気そうにしているのを当たり前と思いこんいて、有り難いこととは思っていなかった。

ときどきは葉を頂戴して、パスタ料理などの添え物に使わせてもらっている。日常的にごく自然にお世話になっているために、草が静かに越冬中であることに無頓着になっていたのである。

バジルの種を買ったとき、袋に「一年草、または二年草」と書いてあったのを覚えている。鹿児島あたりで一年なら、小宝で二年くらいもっていいではないか…。その程度の心得で、特段に目をかけるということもしないできた。

キンタローさんによると、バジルは本来は多年草という。 今どきは生き続けていることが社会悪の扱いを受けるご時世だが、敢えて命を終わらせる振る舞いに及ばなければ、やがて草も木になる。

いずれ『パパラギ樹木銘鑑』、あるいは『小宝島樹木紳士録』に、バジルも列せられることになりそう。そういえばローズマリーはいつのまにか“木族”階級の扱いをしていた。昔から生えていたというような顔をして菜園や庭のあちこちに控えている。

日当たり、風の通り方の違うところにあちこち植えたのがすべて根付いた結果である。鹿児島から苗をもってきたもの、挿し木によるもの、いずれも健在。これは燻製のときなどに、ひと働きお願いしている。

多年草といえば、レモングラスも間違いなく多年草。しかし、木族を目ざさない。グラスの分際を悠々とまもっているところは、また立派である。

これも庭の4カ所に昔からあった風景の如く控えている。先日はわざわざ島の人が貰いにきた。お茶にして飲むのだという。

【写真は畑の片隅で、いつの間にか灌木になっていたバジル】

もののけ!?

∇…012
25日朝8時過ぎ南風原(はえばる) 牧場でヤギの群れを見た。一周道路から百数十㍍海岸寄りの柵、灌木から珊瑚礁原につづく境目のあたりに7、8頭。もっと多かったのかもしれない。白い体が重なって、遠くからは数えにくい。

牧場の柵をくぐって接近。徐々に距離を詰め、6、70㍍ほど近づいたらサッと珊瑚礁の岩陰に隠れた。堂々とした体躯のオス2頭がのこって、こちらの動きをうかがっていたが、それもつかの間。間をおかずに姿を消した。思いのほか用心深い。

なぜか、群れの数が多い。今まで小宝島では2頭、よその島で4頭までは確認した。一定の統制のもとに十頭近いノヤギの群れが人の気配の濃厚なところまで進出してきたのを見るのは初めて、想定外のことである。

それ以上の驚きは体格の大きさである。距離が離れていて断定はしにくいが、オスの体重はどう見ても60㌔を超えている。アニメの「もののけ姫」に出てくる老カモシカを思い起こさせる重量感。今まで見た小ぶりのノヤギとは違う。

宿に戻ってインターネットで調べてみた。大学の研究室が出している情報でも、動物園などのサイトでもトカラヤギはオスでもせいぜい30㌔とある。ならば、南風原牧場にいたノヤギはいったい何者だ?

30数年前から宝と小宝の両島に住み、ヤギをいっぱい食ってきた宿の女将にきくと、「ああ。放っておくと大きくなるよ」とこともなげ。となれば、大型の外来種・ザーネン種が野生化し、トカラヤギと雑居ないし混血した可能性を考えないといけない。

飼い主もいちおういるという。なかなか捕まらず、腕をこまねいているうちに大きくなったらしい。牛の放牧と競合する食害も心配だが、本来のトカラヤギはどうしているんだろう?






トカラハブ

おおかたの人は長い生き物を嫌う。理屈の問題ではない。どうも、ご先祖さまが長いものに余程いじめられたのか、あるは、いじめすぎて後ろめたい気持ちをもったか、そんな記憶が末代までこびりついていて離れないということかもしれない。

生きていくうえではご先祖から相続したものを放棄した方が便利なこともある。嫌悪や恐怖は精神衛生上よくない。過剰なもの無用のもので行動をしばられるのも面白くない。自分で自分を納得させ、慣れてしまえばいいのだ。

この知恵は子どものうちから自然と身についた。小学生のころ、土手の目の高さのところでマムシと向き合ったことがある。飛び上がる思いだったが、向こうの方も驚いたらしい。ただし、足がすくんで突っ立ったままというような間の抜けた行動はとらず、即座に草藪のなかに退散した。テキの方が道理をわきまえ沈着であった。

トカラハブも私より賢いことを期待している。こちらだっていくばくかの知恵はついたから、藪に入るときは棒を携え派手な音をたてる。とにかく、今までのところは不用意かつ不幸な出逢いをする機会はなかった。

∇…∇…ハブ[1]

先月の話になるが、図らずもハブに警告なしの先制攻撃をかける始末になった。当方は先のない身なので無益な殺生は控えているが、連れのサン太郎がいきなりハイビスカスの根元の草藪に飛び込んだ。

ほどなく引きずり出したのが、前にも話したことがある大ハブ。黒系と白系があると聞いていたが枯れ草色をした白系。またも、間の抜けた話で計測も写真記録も思いつかなかった。(上の写真は別の小さなハブ)。
とにかく通学路にあたる場所だったので、気の毒ながら遺体はそのまま道路わきにさらしものにした。いつも通る道の草むらにもハブがいるゾ……という警告のつもりである。

葬儀埋葬のために腰をあげたのは翌々日になってからのことだった。現場に行ってみると、遺体はほとんど骨になっていた。主犯はハエらしい。ほかにアリの類も遺体処理に加わったもようである。手際の良さに舌を巻くばかり。

葬儀を思い立つのが遅かった。言い訳を許してもらえば、それどころではない事態が出来した。ハブ狩りサン太郎が口のなかを噛まれていたらしい。しばらくして下顎から喉にかけて膨れ上がり、血液の混じった唾液を流す。

∇…∇…名誉の負傷[1]

かくて御覧のとおり、ウツボのような御面相になった。

∇…2008年09月04日_DSC06076

ずいぶんと心配したが、翌日になると持前の食い意地がもどった。3日たつと腫れがひいて、もとの凛々しい顔だちをとり戻した。懲りた様子はなく、怪しげな草むらに出くわすと目の色を変えて、あたりを嗅ぎまわっている。

なるほど、トカラハブは奄美のハブに比べるとよほど毒が弱かった。島の人はハブにかまれた時は診療所で血清を打ってもらうことはせずに、もっぱら安静する…という話を聞いた。血清の毒の方が強いと思っている気配である。

2万年前まで奄美と宝、小宝は陸続きで、その後に海によって隔てられたという。本家から孤立した環境で分家を構えたトカラハブはいくらか穏健な性質を相続してきたらしい。ものの本には、トカラハブは世界中でこの2つの島しかいない貴重な種と書いてあった。サン太郎が攻撃を仕掛ける素振りを見せたら首紐を引き締めなければならぬ。

ウミツクジ

∇…2008年09月06日_DSC06752

島の一周道路をサン太郎と散歩していたら自転車に乗って家路に着く牛飼いのHさんと出会った。互いに自転車に乗ったまま道の真ん中で立ち話になった。

気になっていたイソヒヨドリの方言名を聞いてみると「ああ、あれはヒヨドリ」。さらに言葉を添えて「昔の年寄りは海ツクジと読んでいた」という。オスメスを言い分けないか問うと、「そう言えば、形が同じで色が違うのを山ツクジと言っていたと思う」。色が茶色っぽく地味なのが山ツクジ、青黒くて腹の方が赤っぽいのが海ツクジ…とか。

自分の目に触れた限りでは海に近い民宿の庭や港の築堤付近で「山ツクジ」が飛び回っている。「海ツクジ」は波打ち際の溶岩の上でさえずっているのを見た。海岸の岩穴に巣をつくり、子育てのときはオスとメスが交互に餌をヒナに運ぶというから、すみ分けしているとは考えにくい。

思い出したのがカワセミとヤマセミ。これは別種だが、イソヒヨドリのオス(海ツクジ)はカワセミ、メス(山ツクジ)はヤマセミに似ている。この連想が働いたのでは、とも考えてみたが、海と言えば山と応じたくなる合い言葉のような軽い気持ちからの命名だったのかもしれない。

【写真は山ツクジ(イソヒヨドリのメス)】

イソヒヨドリ

∇…2008年09月06日_DSC06760

宿の向かいの道路に立てられた電柱に鳩と雀の間くらいの大きさのがとまり、しきりに鳴いている。姿は地味だが転がすようなきれいな声でさえずる。そう言えば、村営船が着く港周辺でもよく見る。セキレイと並んで、小宝島では今、一番ありふれた

に詳しい友人にメールで尋ねると、間をおかずに返事がきた。イソヒヨドリという。なるほど、胸のあたりのうろこ状の斑紋、大きさもヒヨドリを思わせる。決定的に違うのは鳴き声で、ヒヨドリと違って美声。本当はコマドリ、ノゴマ、アカヒゲなどと同じツグミの仲間らしい。

「オスはきれいだよ」と教えてもらった。そういえば、湯泊の入り江で暗青色の体に胸から腹にかけてレンガ色をしたをみた。渡りかと思ったが、留。フナムシ、トカゲ、昆虫類などなんでも食べるというから小宝島は天国、この島に住まいを定めたら飢え死にはしたくてもできない。

牛の整列


  小宝島の港のとっつきに南風原(はえばる)と呼ばれるところがある。ここの住民は20頭ほどの肥育牛。住民の業務はみんな一緒で、いつ見ても草を食うのに余念がない。

サンゴ礁を覆う広い草原で思い思いに草を食んでる。……と見たのは、こちらの思い込みだった。よくよく見るとみんな同じ方向に体を向けている。一種の秩序がある。

∇…DSC00582 (2)

 牛の棟梁がいて号令を発している気配はない。合図を交わしあっている風にも見えない。それでいて、みんな頭を同じ方向に向けて、モクモクと草をはむ。

 立ち止まって風の動きを探ってみた。今日に限って風が動かない。動いているとすれば北ごちだろうか。とすれば牛たちが頭を向けているのは風上の方向。なぜ風上なのか…? 結論は急ぐまい。いずれ牛が教えてくれる日もあるだろう。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。