じじらぎ

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ウソ

2020年オリンピックの開催地が東京に決まった。 3兆円の経済効果とか。


NHKではオリンピックに出場した元選手らが感想を語りあっていた。 それぞれに期待するところがあるようで、喜ぶ声ばかり。

慶祝一色の繰り返し放送に飽きてテレビを消そうと立ち上がったところで、聞き捨てならない発言があり、我が耳を疑った。 

64年オリンピックを機に日本人は規律正しくなり、時間を守って懸命に働くようになった……という。

とんぼ玉砕

007.jpg   鹿児島の寓居は市街の中心部を縦断する甲突川沿い。 左岸は緑地公園になっているのでそれなりの自然に出あうはずだが、腰の痛みを口実にしてあまり出歩かない。 

朝方、ゴミ捨てに階下まで降りたら駐車場のあちこちでウスバキトンボが死んでいた。 久々に見る自然の片りん。 

7,8匹があちこちに散らばって死骸をさらす。 無茶苦茶な猛暑続きの後、なぜか今朝がたは急に冷え込んだ。 もともと寒いところは苦手なとんぼらしい。

なかにギンヤンマの死骸がまじっていた。 これも一時的な冷気のせいか?


小宝島では以前、渡りのタイミングを読み違えたツバメがバタバタ死んだことがあった。 鳥も虫も猛暑に逃げ惑って下手に動くと命を落とす。 これに比べると死にそこないの人間の爺はよほど丈夫らしい。

イルカの見送り

071 (800x533)     25日0846時、鹿児島のぼりの「としま」から、小宝-悪石の海域。 このところ船に乗るたびにイルカに遭遇する。 3回連続。

サン婆さまの供養をかねて宿をすこし休むことになった。 おかみは次の便で島を出る予定。 

欠航

0958時、村の土木交通課から「防災無線」 の放送があった。 あす鹿児島を出航する手はずだったボゼ特別便は欠航という。 台風12号の影響で悪天候になったため。

これにより悪石島を拠点に準備をすすめていたボゼ・ツアーも急きょ中止になった。 

水曜出港以降の運航については明日以降に告知するという。

抜港の島

午前6時をまわった頃、島の出張員の声で島内放送があった。

村営船「フェリーとしま」 の上り便は港内の状態が良くないので抜港するという。


0615時に宝島を出港した船は小宝島を飛ばして悪石島に向かう。 この分ではボゼの特別便も予定どおりいくかどうか?

雨、雨

きのう未明、西側のはるか洋上で稲妻が光った。 竹の山の裏側にあたり、直接は見えないが数十分光り続けた。 

夕方になって空は明るいまま湿った風が吹き出した。 


日づけが変わって17日未明、たたきつけるような雨になった。 

すぐに止んで、これではオシメリが足りないとぼやく。


夕刻になって再び風が起き、大粒の雨が断続的に降るようになった。 「これならどうだ。 もんくあるか!」 と、天から声がしたような。

雨らしい雨は7月1日の梅雨明けいらい、およそ50日ぶり。


南の海に熱帯低気圧が二つ発生しているらしい。

久々の日の出

IMG_1123 (1024x695)   0558時、パパラギのベランダから。 久しぶりの小宝の日の出。

また、イルカ

IMG_1051 (1024x742)    12日夜に鹿児島を発って島に向かった。 一夜明けると信じられないような凪だった。 1031時、悪石を過ぎて小宝に向かう海域でイルカの群れと出会う。 しばらく伴走してくれた。



IMG_1068.jpg  1055時、トビウオも飛んだ。

雲といるか

146 (800x565) (2)   急きょ鹿児島にのぼる用事ができて仕度をしていると、空の気配が少し違う。 新月に向かって暗いはずの空の一角が妙に明るい。 見ると雲が発光していた。 

143 縮小(800x533)   それから14分後の0508分、女将が変な雲が出ていると叫んだ。 同じ方角にあった雲が形を変えている。 卵から龍2頭が孵化して飛び立ったようにも見える。 このような不定形の線状の雲は昼間見たことがあるが、闇の中で発光しているものは初めて見る。



111 (1024x679)   0909時、悪石から諏訪之瀬に向かう洋上。 イルカの群れが伴走した。

姫田さん逝く

姫田忠義さんが亡くなった。 84歳。

日本が国として成立する前から列島各地で営まれてきた祭礼、習俗を映像で記録した人。 鹿児島県内では加計呂麻の諸鈍シバヤ、甑島のトシドン、奄美本島のショチョガマ、平瀬マンカイ、ノロまつり、鹿児島の正月行事、大隅・薩摩の春祭りなど広範多彩な映像記録を残している。

縁あって8年ほど前に会食したことがある。 楽しかったという思いでしかない。 

思えば、昔の人の敬虔な心の置き方を熟知していた最後の人だった。 折角のことだから、遠慮せずにキッチリと立ち入ったことをお伺いしておくべきだった。


訃報は1日付の南日本新聞ネット版で知った。 社会面の底にベタ記事で報じてあった。 鹿児島での仕事についてはひと言も触れてなかった。 

7月

気がついたら7月も最後の日。 7月は暦の掲載を忘れてしまったので、2カ月分一挙に掲載する。 間違い、不適切なところにお気づきの方はお知らせいただければ有り難いことです。 

7月暦(1024x679)

073.jpg

P1020044.jpg    夜明け前に雨が降った。 干天の慈雨…。 3週間か4週間ぶりのことである。 庭の花が息を吹き返した。


P1020046.jpg    上は日日草、下の写真はテンニンギク。 よそでは雑草扱いしているかもしれないが、わざわざ植えている。 

下の写真で萱(かや) のように見えるのはレモングラス、左端にみえる白いスチロールの箱に植えられているのはバジル。 写真には写っていないが周辺にはアップルミント、ブラックミント、ローズマリー、ブーゲンビリア、ハイビスカスなどが根付いている。



ここらは珊瑚礁の岩と礫で、表土はほとんどなかった。 自分が来る前、海辺の天梅(てんばい、テンノウメ) を移植してあって、それなりの景色があったという。 その後にだんだんと表土のようなものがふやされて、磯から庭になっていくという経過をとった。

夏場は努めて水をやらないと芝も花も萎れて庭が土色になる。 有り難いことに昨年、山の上の用水溜めの水を使えるようにしてもらったので、夕方一回だけ水を撒いている。

この水は平成2年に海水淡水化施設ができるまで、飲み水にも使っていた。 朝もやりたいところだが、山の上のプールの水がどの程度たまっているのか分からないので遠慮している。 勢いは良いので、当分は余裕がありそう。



裏の畑は敷地内の貯水槽の雨水をやる。 この貯水槽からの水は勢いがなく心細いようなところがあるが、今まで涸れたことは一度もないという。



村政座談会

P1020047 (640x480)    鹿児島市にある村役場から村長以下、主だった人たちが来て村政座談会があった。 年に一度の“直接民主制”。

去年と違って、ことしは泊りがけの日程にもどされ、夜は懇親会が開かれた。

日の出、2日分

IMG_0042 (800x531)    21日0540時、パパラギのベランダから。


IMG_0600 (1024x654)   22日0538時、同。 2日続けて歩くのをサボった。

燦々

IMG_0086 (1024x683)   0536時、湯泊。  サン婆さまがいなくなっても日は昇る。







20日の出 (1024x819) - コピー    2009年10月の湯泊の朝。 

サンは日の出遥拝と朝ぶろにはいつも同行した。 というより実態は私の方が連れて行ってもらった。  日課をサボりたい気分のときもサンは強引で有無を言わさない。 声は出さないが全身で誘う。 嫌も応もない。

海が見えるところまで来ると、サンは安堵した様子で東の方を遙拝する。 視力が失われても海を仰いでじっとしている。


   

∇…025    日が昇ると、低い角度から照射される光でサンの全身が金色に輝く。 サンという名前の由来は珊瑚礁の珊だが、燦々と降り注ぐ光の燦の方がよりふさわしいかも知れない。



∇…044  ∇…159    サン婆は水もお湯も嫌いである。 人間の爺が湯舟に浸かっている間は、露天風呂と海が視界に入るところに端座する。 目が見えなくなっても同じ方角に顔を向けたままジッとしている。 鼻と耳の先だけがピクピク動いている気配。




∇…020 (3)   珊瑚礁の道なき道を往くのも好きだった。 ヨタヨタといつまでも歩く。 それが、突如立ち止まって小休止を求めるようになった。 2日後には立ち上がれなくなり、それから10日ほどして昇天した。 



∇…032  410 (683x800) DSC02253 (1)避難 (800x692)   サンは生まれつきの品があった。 強者弱者を分け隔てせず、いつも毅然としていた。 誰にでも優しく、ヨチヨチ歩きの乳幼児から小突き回されても、されるがままになっていた。 

際立っていたのは旺盛な好奇心。 濡れた鼻は高性能のアンテナで、人の知り得ない情報をかぎとっているようにみえた。 

三枚目は2011年3月11日、三陸方面に大地震がおき津波警報が出て避難したときの写真。 神妙な面持ちで控えていた。 何を考えていたのだろうか? 





盲犬と棒(800x600)   この年の夏には全聾、全盲、嗅覚障害に加えて身体感覚もおかしくなってきた。 足に絡まるリード(紐) を自力ではほどけない。 棒の先に短いリードを付けて誘導することになった。 




 

★s-フラッシュ・メモリーからの写真 076 - コピー (2)   リードを離すと島の珊瑚礁原を思うさまに駆け回っていた頃の若いサン。 左手はかつての相方、陣(じん)。 陣は先に逝ったが、これからは両者揃ってあの世の入り口で迎えてくれるのだろうか?

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帰還……サンのいない島

P1010945 (1024x768)  予定を切り上げて17日水曜日の船に乗る。 法事を営むわけではないけれども、この便なら19歳で命を終えた雑犬・サン(珊) の初七日に間に合う。

0548時口之島を出て振り返ると、島影からお日さまが顔をのぞかせた。 柔らかい光で海と空を包んだのはつかの間のこと。 数秒後には灼熱の夏の太陽になった。  


P1020007 (1024x749)   1055時、小宝島の寝姿が見えるところまで着く。 足元にうっすらと見える島影は悪石、その先が諏訪之瀬。 



P1020018.jpg   居間の日めくりはサンがなくなった12日のままになっていた。 日めくりをそのままにおいてもキッチリと時は刻まれ、1週間が過ぎていた。


P1020036 (1024x768)   サンの墓所。 亡骸(なきがら) は裏の菜園の一角に葬られていた。 ここらは島の人から借りている地所である。 埋葬を許してもらっただけでなく穴まで掘ってもらったという。 珊瑚礁を掘り砕いて穴をうがつ作業はなまなかの仕事ではない。 珊は珊瑚と石灰岩を掘り分けたところに納まった。


石で囲んだなかに、真ん中に抑えの石が一つ。 この形は、30余年前に平島の子供が事故でなくなったときに偶然立ち会った土葬の形と同じである。


女将に、誰に教わったのか聞くと妙な顔をする。 島の人が石をたくさん拾ってきてっくれたので、並べて置いたら自然にこんな形になったという。


忘れられていたトカラの土葬の葬制が小宝島の一角で図らずも再現されることになった。 真ん中の石はここでは「抑え」 の役割よりも、女将が掘り起こすのを禁じる「封」 のような不思議な存在感があった。

婆さまが死んだ

昨夜、12日午後11時45分ごろサン婆が息をひきとった。 


今朝方、島にいる女将から電話があって昨夜のメールを見たか……と問う。 女将がメールを打つのは珍しいが、見たかどうか確認の電話をしてくるのも、あまりないことである。

どういうことか聞くと、しばらく声がない。



サン婆の四肢のひきつりは午後9時ごろから激しくなり、それを抱きしめて抑えようとする女将の腕のなかで絶命した。 視力は片方の眼だけ一時的に回復したかのように輝きが戻り、女将の顔をじっと見たまま息をひきとったという。

享年19歳4カ月。 小宝島でもっとも長く生きた犬だった。

ルリタテハ

P1010337 (800x600)   7月の暦に使った蝶の名を問う人がいた。 自分も島に来るまでは知らなかった。

図鑑で調べたら、どうやらルリタテハ。 7月にはいってわが物顔に飛び回っていたアサギマダラ、リュウキュウアサギマダラが避暑にでかけたあと、急に増えた。



IMG_0560_20130706104958.jpg    この蝶は交通安全の心得がない。 信号機を守り、横断歩道を渡る…などという面倒はことは、もともと信号機も横断歩道もない島では考える必要がないけれども、道路の真ん中で休憩するのは困る。 

島の道路を通る車はあまりいない。 ただ、全く通らないわけでもない。 誰かが、道路は車を通すためにつくられたものだ……ということを蝶に教えてあげないといけない。 


道路占拠中のルリタテハをあらためて観察すると、羽根の裏は褐色をしている。 木にとまって羽根をたたんで樹液を吸うのだという。 羽根の裏側の色が違うのは樹皮の色に合わせた保護色らしい。




IMG_0555_20130706104957.jpg     羽根をたたんだまま道に横になっていることもある。 道に木くずが落ちてるのかと思って気にもとめずに近づくと、とつじょ蝶の姿になって飛び立つ。

IMG_0529_20130706104955.jpg     動作は必ずしも敏捷でない。 横歩きの蟹と同様、車にひかれるものもいる。 ひいたあとに木くずと見たのが蝶であったと分かる。 あとのまつり。

計画断水?

なにゆえの断水であったのか……海水淡水化装置に故障はなかったという妙な話を聞いた。

島では分校の屋内体育館建設のために多数の工事関係者が入り込んでいた時期があった。 それが一段落して、島の実人口はむしろ少ない時期。 機械は正常に動き、人は少なく需要は減ったはずなのに断水?


まさか、3.11後の東京の計画停電と同じことではないだろう。 電気はまだあるのに通勤の足を止めて首都機能をマヒさせた。 昔の日本人ならあり得ない本末転倒。 



夕方に突如断水し、一夜明けて朝になってまた断水になったことについては、節水を呼び掛けたために水の使用量が増えた……という人がいた。 これも信じがたい。

この話がウソ出鱈目であることを祈るのみ。 敢えて確かめてみて、万が一本当だったら情けないので忘れることにする。


昼前には蛇口の水は結構な勢いで出るようになった。 

それでもとの静穏に戻ったのかと言えば、ちょっと違う。 島の空気はどこかあわただしい。 あすは体育館の落成式で来賓がたくさん来るのだという。

水罰がきた!

朝、顔を洗おうと思ったら水が出ない! 

きのうは日没を過ぎる刻限までそこそこ立ち働いてシャワーを浴びようとしたら、出ない!  汚れたまま寝て、日づけが変わって朝になって汚れたままの体で起きたら、またも断水。


きのうのアナウンスでは、海水淡水化装置の不具合はひとまずなおって、空になっていた湛水槽に水をためている……ということだった。 一晩たって十分に貯水できたのかと思っていた。 


なぜ、こんなことになるのか?
 

しばらくしてアナウンスがあった。 深刻な状態だから節水をお願いする……とか。 

深刻なのは言われなくても分かっている。 なぜこうなるのか、復旧のメドはたっているのか、肝心のことについては、何もわからない。 

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